朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

「自分の手柄」なんてあるのかな

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ノオトという編集プロダクションに入ってよかったのは自分よりすごい人たちがたくさんいることがわかったことだと思っている。

編集者・ライターとして、文章でも、経験でも、教養でも、なんもかなわねーって感じの人たちと一緒に仕事をすることができている。

この会社に拾い上げてもらえなかったらマジでやばかった、というような話をこのあとノオトOBの柿次郎さんとします。

 

contentz.jp

 

ひと口にライターと言ってもいろいろな仕事がある。企画からすることもあるし、企画はもらって、ライティングを担当することもある。

例えば今日公開されたこの記事は、『Forbes』というブランドのある媒体だから、その編集者さんが立てた企画を僕に書かせてくれたから、こうやって世に出ているわけで。

 

forbesjapan.com

 

よく思うのが、自分ひとりががんばるような仕事はしんどいし、正直あまり広がらない、ということだ。

取材対象者さんのご協力、編集者のスキル、ライターのスキル、媒体が積み上げてきたブランド、そういうものが掛け合わさっていいものが生まれるような気がする。

今年の仕事もポートフォリオにまとめている。この中にひとつでもいい記事だと思ってもらえるものがあるなら、それは僕よりも優秀なすべての関係者のおかげだ。

 

matome.naver.jp

 

本当にすごい人は、自分の手柄にこだわらず、譲ってくれる。だとしたら、「自分の手柄」なんて本当にあるのかな。

 

WELQの一件についてもそう。僕は早期にこの問題を(メディアで記事として)提起した、かもしれない。世の中も少し動いた、かもしれない。

でも、それは僕よりも早く事態を問題視していた辻正浩さんのような専門家がいて、BuzzFeed JAPANが丁寧な調査報道をして、さまざまな展開があった結果だ。

改善された点についてはよかったと思うし、後悔もない。ただ、その後の「さまざまな展開」の中で、炎上がエンタメのように消費されてしまったとも感じる。

僕はいつの間にか、どんどん拡大していく問題の外側にいた。「医療情報」「ネットメディア運営」の範囲を超えたら、僕にはそれを追及する知識もスキルも経験もない。

何かを書いて知らせるというのは、関係する人の人生に少なからず影響を与えるということなのに、事態は僕に収拾をつけられないところまで行き着いてしまった。

 

昨年末からこんな重たいことをずっと考えていた。自分がやったことを評価する基準すら自分は持っていない、というのは結構、ショックだった。

とりあえずの結論は、調査・報道についてちゃんと学ぶ、ということだ。自分がしたことの始末は、自分でつけられるようにするために。

 

そんなわけで、春から職場を移ることになりました。粛々と、自分の目の前にある、やるべきだと思うことをやっていきます。

在職中にお世話になったみなさん、そして僕の選択を聞いて、快く送り出してくれたノオト代表の宮脇さん、ノオトのメンバーに、心から感謝しています。

今の自分があるのは、僕に惜しみなく「手柄」を譲ってくれたみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。