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朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

さっきはごめんね、いつもありがとね

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ごめんなさいとありがとうを大事にしたい。オトナになるとかえって素直じゃなくなっていくんだけど、ストレッチがなくなるのはきっと、心の一部が少しずつ死んでいるからじゃないか。精神もまた老化するのだ、それをもっと自覚しなければいけない。

から揚げ棒で友だちと大ゲンカしたことがある。一緒にコンビニに寄った友だちがから揚げ棒を買ったので、僕は「ひと口ちょうだい」と言った。友だちはとっさに「えーーーっ、イヤだよ」と言ったあと、しまった、という顔をした。友だちはすぐに「ごめん、あげる」と言ってくれたけれど、気分を害した僕は、何度すすめられても「もういいよ」と繰り返した。「ほしいって言ったじゃん」「もういいよ」「いや、だって」「もういいよ」「だって」「いらない」何度かのやりとりのあとで、その友だちはから揚げ棒を捨ててしまった。そこからの口論は感情的なもので、仲たがいして終わった。

ありがとうと言えばよかった。「ほしいって言ったじゃん」「もういいよ、ありがとね」。「もういいよ、ごめんね」でもいい。でも、つっけんどんに「もういいよ」と言い渡された友だちは、いくら僕が遠慮をする体裁をとったとしても、もはやから揚げ棒を食べにくくなってしまった。何事もなかったように美味しく召し上がることはもうできやしない。そんな状況を推し量り、思い遣るようなひと言が僕にあればよかったけれど、それがなかったせいで、から揚げ棒は地面に叩きつけられてしまった。ありがとう、ごめんなさい、それくらい、どうして言えなかったんだろう。

言わなくてもわかるだろう、と思ってしまうことはある。でも、この世の中に言わなくてもわかることは思うほどはない。から揚げ棒について言えば、その友だちは僕の心持ちを読みきれず、途方にくれてしまったのだろう。ちょっとムカついたけど、それほどでもない、そんな気分を言わなくても理解しろ、興が乗らないままから揚げ棒を食え、というのは、公平な関係性とは言えない。友人でも、恋人でも、上司部下でも、パートナーシップには思いやりが必要だ。これを言ったら、あるいは、これを言わなかったら相手がどう思うかという配慮がないと、維持するのはむずかしい。

公平な関係性はリスクヘッジでもある。人間はミスをするし、いつでも相手に見損なわれ得るというのに、自分が相手を見損なうかどうかを検討してばかりで、その逆の可能性に思い至らないこともよくあるんじゃないだろうか。たとえば偉そうで自信満々な上司はミスをすれば権威が失墜するように、非対称的な関係性は本当はリスクだ。そして、公平な関係性が非対称にならないようにメンテナンスするのが、ごめんなさいとありがとうという言葉なんだろうと思う。

なんとなく悔しいみたいなプライドが邪魔をして、伝えるべき言葉を相手に伝えられないと取り返しのつかないことがあるよな。オトナになるまでにはそういうことがたくさんあったはずなのに、プライドもまた肥大して同じ失敗を重ねてしまうのだ。

『さっきはごめんね、ありがとう』はクリープハイプの名曲だけど、汎用性があり、心をストレッチさせるのにぴったりだ。精神的に凝り固まってしまったときには、「さっきはごめんね、いつもありがとね」と口ずさむようにしたい。

 

 

持つべきものは友だち。