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朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

主語と述語の位置関係を見直すと文章は読みやすくなる

例文あり

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朱字ってもらうのもあげるのも勉強になるからすごい。だけどいずれにせよ大切なのは朱字をどうロジカルに分析して、再現性を持たせるかだと思う。

編集も最後の良し悪しは感覚だから、行き着く先は神の御業みたいな芸術になっちゃう。でもそこに到達するには仮説と検証のサイクルを回し続けるしかないと思うんよ。

そうして得た成果が積み重なり、または人から人に共有され、世の中がよい記事ばっかりになればみんなメディアをもっと好きになってくれるんじゃないか。

本当によい記事は消費されないしずっと記憶に残るよね。たとえば今年、この記事すげーーーてなった記事を思いついた順番に挙げてみる。

 

weekly.ascii.jp

hrnabi.com

www.e-aidem.com

 

やっぱり何度読み返してもおもしろいし、くやしい。僕の記事もこんなふうに誰かの記憶に残してもらえるためにも、日々の業務をログしておこう。

 

そんなわけで先日頭を抱えたのがこの文章だ。前後に文脈がないと本来は編集のしようもないけど思考実験のようなものとしてご査収ください。

 

楽しむというのは結果志向であれば甲子園に出る野球部みたいに何でも言い合えるのです。

 

ざっくり文節で区切ると、「楽しむというのは / 結果志向であれば / 甲子園に出る / 野球部みたいに / 何でも / 言い合えるのです」となる。ここから品詞分解をしてこの文章の読みにくさを解消していきたい。ただし、これはあくまで個人的な内容なので、以下、文法用語の使用方法など厳密にはちがうかもしれないのでご容赦くださいませ。

楽しむというのは(主部) / 言い合えるのです(述部)とみると主語と述語がねじれている。このねじれとはどういうことか詳しくみてみよう。この文章は「SはCです(SVC)」の第二文型に分類されるので、Cは名詞か形容詞。この場合は「の」が「こと」の省略で名詞(句)。

すると「楽しむということは言い合えることです」になるが、楽しむという行為は言い合いという行為と概念として同値ではないだろう。言い合いが楽しみの一部とするほうが妥当だ。だから主語と述語が一致していない、つまりねじれていると言える。このねじれを解消して「言い合えることを楽しんでいます」とするほうが読みやすい。

もうちょっと細かく言うと「こと」という代名詞を多用すると文章がふんわりしてしまうので、前後の文脈に合わせて「言い合える関係を楽しんでいます」のように置き換える。逆に「言い合えるのを楽しんでいます」と代名詞も省略するとさらにふんわりとしてしまうので、まじめな用途だとちょっとバカっぽいから注意しよう。

残りの文章の要素を抽出してみると、「結果志向であれば 」「甲子園に出る」「野球部みたいに」「何でも」となる。「結果志向であれば」は接続詞的な表現なのでこの文章では独立しており、「甲子園に出る」は「野球部みたいに」にかかり、「甲子園に出る野球部みたいに」と「何でも」は「言い合える」にかかる修飾語である。

修飾語は文章になくてもいい要素なので、すべて取り除くと「言い合える関係を(O)楽しんでいます(V)」つまり、この文章には主語がない。というよりは「(私は)言い合える関係を楽しんでいます」と省略されている。日本語は主語の省略が可能な言語なので、おうおうにしてこのような誤読が発生することには注意しておきたい。

文章にねじれがおきる理由は、主にこの修飾語だ。主語と述語の前後に余計なものが挟まれば挟まるほど、本来文章になくてはならない要素が頭に入りにくくなってしまう。そこで主語と述語をできるだけ近付けて、修飾語はなるべくまとめると文章は読みやすくなる。

今回の例文であれば「結果志向であれば 、甲子園に出る野球部みたいに、何でも言い合える関係を(私は)楽しんでいます」となる。すっきりしたが、まだ読みにくい。「結果志向」という言葉はもっともらしいが、そのじつ意味がよくわからないのでこれを噛み砕く必要がある。

「結果志向」とはおそらく「結果を出したい」という意味だと判断して「結果を出したい→甲子園に出場する野球部みたいに&何でも言い合える→楽しい」という構造を検討してみる。「甲子園に出場する野球部みたいに結果を出しながら、何でも言い合える関係を(私は)楽しんでいます」とすると大分よくなった気がする。

ただ「結果を出す」というのも抽象度の高い表現のような気がするので、甲子園と絡めて「勝ち上がる」という言葉を選択する。もちろんこのような意訳はライターにはあくまで案として提示しないといけないが、原文で言いたかったことを読みやすくするとこういうことではないだろうか。

 

甲子園に出場する野球部みたいに勝ち上がりながら、何でも言い合える関係を楽しんでいます。

 

楽しむというのは結果志向であれば甲子園に出る野球部みたいに何でも言い合えるのです。[原文]

 

よくなったのではないかと思うけどまだまだよくなるとも思う。編集には上限がない、だからこそ一生を賭ける価値がある。まいにちがべんきょうです。

修飾は難しい。主語と述語にバランスよく形容詞や副詞を振り分けるセンスが問われる行為だ。ねじれのない修飾をすることで、文章をより洗練させていきたい。

ということで、今月から編集プロダクション・有限会社ノオトに就職いたしましたので、記者・編集者としてイチから鍛え上げていただく所存です。

かかる上は一日も早く仕事に慣れ、世間・業界ともに信頼されるべくコンテンツ制作に精進して参りますので、今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますようお願いいたします。

僕を温かく迎え入れてくださったノオトのみなさま、そして転職をお祝いしてくれたすべてのみなさまに、心より御礼申し上げます。