朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

自己紹介2

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以前、自社に自己紹介の無間地獄みたいな文化があることをお伝えしました。

 

amanojerk.hatenablog.com

 

相変わらず僕はそこでご紹介したテンプレを使いまわし続けてきたのですが、さいきんは他のメンバーの自己紹介が発展してきて、Wikipediaを再現したり韻を踏んでラップバトルしたり、企業文化の醸成について非常に示唆に富んだ様相を呈している。

個人的に非常に興味深かったのは両親の離婚とかオーバードーズとか衝撃の過去をさらりとカミングアウトするというもので、不幸の当て逃げのような暴挙に影響された僕もこのタイミングで自己紹介のテンプレを変更するに至ったわけです。

それがこれ。

 

☆名前
朽木誠一郎(クチキセイイチロウ)

 

☆あだ名

くーにゃん(姑娘)

☆生年月日
1986年5月31日

☆略歴

 

[14歳(朽木誠一郎の誕生)]

2000年、実家にはじめて導入されたパソコンでインターネットと接触する。テキストサイトがブームだった時代で、あちこちのサイトをROMる。ウェブに好き勝手なことを書き込むという文化と、インターネットの波打ち際で戯れる思春期を送る。

また、当時『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』の岩井俊二監督が運営していた『円都通信』というサイトの、素人が脚本を投稿してスタッフの目に留まればプロの脚本家としてデビューできるコーナー;しな丼に脚本をせっせと投稿する。

しな丼の投稿名義は朽木誠一郎。

 

[15歳(朽木誠一郎の死)]

作家になりたいと言ったら親に医者か弁護士じゃないとダメと反対される。

それもそうかと作家になるのを止める。東大を目指してひたすら勉強する。

 

[18歳(反抗期)]

高校時代に遅く来た反抗期を迎え、勉強をしなくなる。

東大どころか国立の大学に合格できず、浪人が決まって親に陶器の皿を頭に投げつけられる。

 

[20歳(医学部時代)]

はじめて受験した年はE判定、二浪目はA判定まで成績を上げて医学部に合格する。

やればできる子と褒めそやされて調子に乗る。

 

[24歳(留年、そして朽木誠一郎の復活)]

医学部に入学してみたものの、やりたいこととちがうと感じて大学がつまらなくなる。

大学在学中にフリーライターとして活動をはじめる。名義は10年ぶりに朽木誠一郎にする。

 

[27歳(朽木誠一郎、社会へ)]

ライターが思いの外たのしく、ライターになるか医師になるか悩んでいるうちに医師国家試験に落ちる。

「誰か僕に社会保険をください」とFacebookに投稿したら、とあるメディア運営企業のとある事業部長からコメントでリクルートされる。

編集長にしてもらえると聞いて入社、後日そんな約束はなかったかのように編集長は別の人になる。

 

☆趣味
サラダバー

 

☆ひと言
ずっと“ちくしょう。転職だ。”バナーのモデルをしているのですが、僕が本当に転職したらみんなどういう気分でこのバナーを見るのか、それが気がかりです。

 

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これな ( ☞´◔‿ゝ◔`)☞