朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

好きなことで、生きていくために知っておきたいひとつのこと

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知り合いがいて。「将来は医者か弁護士」なんて小学生の頃から親に言われて育ち、「モノを書く仕事をしたい」など言おうものなら「貧乏になる」とか「負け組だ」とか、ヒステリーのようにまくしたてられる家庭環境だった、らしい。

いわゆる毒親で、中学時代に好きな女の子に渡すつもりのお土産とお手紙が見つかったときは「そんな名字の女は部落の出だ」と言われて袋ごと捨てられた、とのこと。とにかく、“勉強をして立派な人間になること”以外に興味を持つことが許されなかった。

その知り合いは、医者になって、なんかたくさんの命を救うとかするのかもしれない。
あるいは、医師国家試験最終日の答案用紙を白紙で提出して、新しく自分らしい一歩を踏み出すのかもしれない。

人生を見つめ直して、選択する。そしてなる。

YouTuberに。

 

好きなことで\(^o^)/

生きていく\(^o^)/

 

そんなわけでこれはフィクションなんだけど、YouTuberが流行っている。年収1億円プレーヤーもゴロゴロいる。いちメディア関係者として、再生回数と広告単価から計算しても、これはあながち嘘でもなさそうな数字である。


日本のトップYoutuber13人がどれくらい儲かっているか調べてみた! | Amp.

下世話だが食い入るように読んだのがこの記事です。

 

でも、おかげでYouTuberに憧れた中学生が

 

近所のドブ川の両岸を結ぶようにガムテープを貼り、「今からこれをわたりまーす!」と高らかに宣言して数コンマ秒で落下、場面が突然切り替わって覚えたてのギターを弾く

 

という思春期の悪夢みたいな動画を投稿するインターネッツになったとも言える。
功罪相半ばである。

 

まあ中学生なら若気の至りと言えないこともないし(ただし人生の汚点であるとは思う)、撮影して編集して投稿してシェアするという一連の流れをつつがなく進行できるデジタルネイティブすごいし怖い、とも思うけれど、それが大人となると話は別だ。

 

なぜ底辺YouTuberは死体になって転がるのか? | ネットラジオ BS@もてもてラジ袋

 

“好きなことで、生きていく”はコピーとして非常に優秀で、この記事のようにたくさんの底辺YouTuberをインターネットの荒野に鳥葬しているのだろう。それをクチバシで突くのは主に僕のように性格の悪いネットウォッチャーである。

 

漫画家になろう、イラストレーターになろう、小説家になろう、アイドルになろう、お笑い芸人になろう。そう安易に考えて業界に突撃して無残な死体となって転がるのは、いつだってその分野をそれほど好きでもないくせに、現実の逃避先として安易に選択した連中だけだ。

 

これもこの記事からの引用です。

 

僕は好きなことをして生きている。好きじゃないことをして生きていくのを止めにした。だからこそ知っている。“好きなことで、生きていく”メリットは好きなことで生きれていないと思わなくて済む、それだけだ。

 


医者になる直前に医者になることを止めた僕が、これから医者になるあなたに伝えたいこと / 朽木 誠一郎 | STORYS.JP

好きじゃないことを止めにした経緯はこちらにまとめてみました。

 

ライティングも編集も僕にとっては好きなことです。でも、それで生きていくなら外部との関わりが不可欠、だってお金は自分の内側から自然に発生したりしない。たとえばブログも“好きなことで、生きていけない”レベルでなら自分の好きにやればいいんだけど。

ライターあるいはプロブロガーとして生きれるだけのお金を得るにはそこにクライアントやPVという外的要因が加わる。自分が好きなことだけ書けばいいのではなく、売ることや読まれることを意識する必要がある。納期もある。良くも悪くも評価される。

もし失敗すれば、好きなことなのに生きていける程の能力はない、ことも露呈する。

 

“好きなことで、生きていく”のは、素晴らしいが容易なことではない。
でも、少なくとも、“好きなことで、生きていなかった”と、死ぬ間際に後悔することもない。

それ以上でもそれ以下でもないのだから、YouTubeに動画を投稿するもしないも、本当は自由だと思ってもいる。

 

まあ、僕がいつか家庭を持ったら、毒親と言われようとも絶対に子どもにYouTubeは見せないけれども。