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朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

マッスル北村について僕が好きな5つのこと

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いつか結婚でもしたら「嫁について僕が好きな5つのこと」という記事を書きたいのだけれどそんな予定もなかった。

しかし誰かを肯定できる器量というのは社会で生き抜くために不可欠なスキルなので身に付けておくに越したことはないだろう。

では誰かを褒めなければいけないとしたら誰になるかとしばらく考えたけれどあまり思い当たらない、かねてより尊敬している人物はマッスル北村だ。

ということで「マッスル北村について僕が好きな5つのこと」を紹介したい。

1. ボディビルの日本チャンピオンになるも、ドーピング疑惑で世界大会への道を閉ざされ、芸能界で活躍する

1986年7月20日の「ジャパン チャンピオンシップス」において、日本人最高のバルク(ボディビル用語で、筋肉の質感、容量を指す)として謳われた石井直方を破り、優勝。かねてから憧れであった「ミスターユニバース」の切符を手にした。

体重は最大で115kgまでになったことがあり、日本人ボディビルダーとしては前例がないほどのサイズを誇る。あまりの筋肉の大きさにドーピングを疑われることが何度もあったが、本人はこれを否定していた。

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しかし、当時日本ボディービル・フィットネス連盟(JBBF)ドーピングコントロール委員長であった後藤紀久から「ナンドロロン・デカノエイト」使用を理由に失格とされてしまう。その時のトラブルが元でJBBFを脱会、世界大会への道を閉ざされた。

事実上、国内でのコンテストビルダーとしての道を閉ざされた北村であったが、その後はなんと芸能界へ転身、さんまのナンでもダービー」にレギュラー出演、番組内で大活躍した。

2. 現役で防衛医科大学に合格するも、二浪して東京大学に入学するも、中退して東京医科歯科大学に入学するも、中退する

大学入試では、現役で防衛医科大学校早稲田大学理工学部に合格したが、入学せずに浪人の道を選び、二浪して東京大学に入学する。実妹によれば、常軌を逸した努力で東大に合格した、努力の人である。

東大に入学後は、東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部の先輩と出会い、関東学生選手権に出場したが、敗退。それからのボディビルに対する熱中ぶりは常軌を逸しており、本人も「筋肉を大きくするためなら何でもやった」と自負している。

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このすさまじい執念が実り、数年後の関東学生選手権で優勝したが、ボディビルへの情熱のために、大学の授業には全く出席せず、東京大学を中退。その後、「人の役に立ちたい」とまた一念発起し、猛勉強の末に東京医科歯科大医学部に一発合格

入学して医師になるべく勉強をはじめるも、やがて「やはり僕はボディビルを極めたい。ボディビルで人の心をワクワクさせて、癒したい」という目標に到達し、ボディビル一本に集中して取り組むために中退した。

3. たくさん食べた

普通の三食以外に、卵を20〜30個、牛乳を2〜3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した。また、このような食事を消化吸収するために、消化薬も大量に摂取していた。

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さらに筋肉のサイズアップに効果があるとして、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを、これも大量に摂取した。その結果、ボディビルをはじめてわずか10か月で40kgの体重増加に成功した。

4. 2日で13kg太ったあと、15時間で14kg痩せる

マッスル北村の経歴の中でも伝説として名高いのが、1985年アジア選手権における減量である。8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権のオファーが入り、了承したはいいが、大会までにはあと4日しかなかった。

しかも、コンテスト直後の食欲をコントロールできず、わずか2日で85kgから98kgまで太ってしまう。普通の選手であれば棄権するところだが、北村は山奥まで行き、そこから自宅までの100kmマラソンに挑戦する。

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途中で足の爪がはがれ、シューズの中が血で溢れるほど過酷なトレーニングであったが、爪の痛みにより覚醒し、計120kmを15時間かけて走り抜き、14kgの減量に成功アジア選手権、ライトヘビー級のタイトルを手にした。

筋肉質であったとはいえ、大学入学時点の身長は173cm、体重は55kg程度。大きな実績を築き上げたその身体は、腕や胸の筋肉を断裂するほど過酷なトレーニングにも怯まず、怪我が癒えるとすぐにトレーニングを再開した結果であった。

 

5. 減量により急死

2000年8月3日、もう一度個人として世界選手権に参加するために20kgの減量に踏み切った結果、体脂肪は生存に必須な分を大きく下回り、3%を切るまでになった。このとき、異常な低血糖状態から急性心不全を引き起こし、39歳の若さで命を落とした。

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亡くなる数日前にも同様の症状で救急搬送されたが、この時は処置が間に合い、心配した実妹から「めまいがしたらアメをなめて、アメでいいから」と懇願されるも「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断る徹底ぶりだった。

まとめ

マッスル北村について僕が好きなことを5つご紹介しましたが、あなたはいくつ当てはまりましたか?

他にも

ある日突然思い立って深夜2時に自宅を出発し、200kmを当時熱中していた自転車でひたすら走り続ける計画を実行に移して、16時間ぶっ通しでアップダウンの激しい坂道を含む道中を漕ぎ続け、喉の渇きが限界に達したところでようやく漕ぐのを止めて持ってきた牛乳を一気に飲み干したところ、その牛乳が腐っており、道中で意識を完全に失って救急搬送された

という高校時代のエピソードや、

人間が何のために生まれてきたのか、僕が何をするべきかはまだわからないけど、生まれてきたからには、自分が見つけた目標に限界まで挑みたい

という信念など、マッスル北村について僕が好きなことはたくさんあります。

あなたも是非、自分だけの「マッスル北村について好きなこと」を見つけてみてください。

それでは、次回の「あなたは大丈夫?身近に潜むナンドロロン・デカノエイトの危険」をお楽しみにどうぞ!

 

出典:マッスル北村 - Wikipedia