読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

メディアは身体の拡張っていうか、モビルスーツみたいなもんだと思うんだ

スポンサーリンク

「メディアは身体の拡張である」と言ったのはかの有名なマーシャル・マクルーハンだけど、迫り来るWeb3.0とそれに相対するインターネットというこの近未来の真っ只中において、それはもはやモビルスーツみたいなものだと思うんだよね。

もちろんガンダムに限った話じゃなくてエヴァでもギガントマキア三浦建太郎先生の24年ぶりの新作)でも何でもいいんだけど、要するに人が動かす巨大兵器ロボットみたいなものだと思ってもらえればおk。

媒介することと増幅されることが図らずもセットになった、それが今の(Web)メディアなんじゃないかと、エヴァは新劇場版『Q』のあたりで完全に置いてきぼりにされたおじさんは思うの。それでどうなるかって言うと、人だって殺せる

 

仮に1000万PVのメディアが特定の誰かのネガキャンを繰り返したとしよう。その影響力はもはやネットにとどまらず、TwitterFacebookを媒介してRTやコメントで増幅されていずれは現実の誰かのところにまでその悪意が届くだろう。

言論が自由であるということはそこかしこで殴り合いが起きてもおかしくはないということでもあり、誰彼構わず拳を振り回すチンピラもいれば、狙い澄ましたパンチで次々と標的をボコっていく歴戦の猛者もいる。それがネットだ、別にふつうだ

でも、言論は人を殺せる。政治家の秘書も、加害者の親も、STAP細胞の研究者も。アイスケースに入ったコンビ二バイトを非難したことがあるなら、誰も無関係ではない。もし彼らが死んでいたら、その責任は個人だろうが発信した全員に等しくあるのだ。

ましてやメディアを運営するというのは、そういうことだ。すべての言説には責任が伴い、だからこそ記名や顔出が是とされる。それは信頼性という観点のみならず、発信した内容次第では社会的制裁を負う覚悟の現れであるからだと思うんだ。

 

僕のジオン軍について言えば、いつの間にか強力になってしまったのだ、ザクが。これまでどおりに動き回れば街を壊し、あたりを火の海にしかねないから誰もシャアになんてなりたがらない。赤い彗星不在では制御ができないの繰り返し。

じつは右腕のここの部分が壊れてるからビームの出力を調節できないんだ、なんて説明してもしょうがないし、あーそこね〜、修理しようと思ってたんだよねえ〜、知ってた知ってた、なんて言おうものならスーツごと宇宙の消炭にされてしまうでしょう。

巨大ロボットが戦うことがいつの間にか当たり前になっているパラレルワールドでは、誰もロボットが自分たちを守っていることに感謝なんてしない。当事者にもなろうとしない。それはそうだ、こんな不安定な操縦席に自ら志願するなんてぜんぜん賢くない。

シンジくんはエヴァに乗るから主人公なのではなくて、主人公だからエヴァに乗るのだ。使徒が来るなら命を賭けるに値するかも知れないし、僕もミサトさんとキスがしたい、なんならそのつづきがしたい、違うそんなことを言いたいわけじゃない。

このわかりにくい話をもう一度メディア論みたいなところに振り戻したときに決定的にエヴァと違うのは、使徒なんて来ないということ。つまり、メディアとはある意味で自己満足であり、嫌なら止めてしまえばいい。シンジくんはただ逃げればよかったのだ。

とすれば、好き好んで大量殺戮兵器をガオガオさせている人間は、どうしたって他人の迷惑を省みる節度が必要なのではないかと僕は思っている。自己満足か、利益追求か、どっちでもいいけど理念は必要だ

操縦桿はまだまだ固いし重いし、ときどきオートに切り替わることもあるけれど、とりあえずコックピットには記名と顔出をしてポジもネガも受け止める誰かしらが必要でしょう、ということで僕はいまエントリープラグで変な色の液になっているのです。

 

「メディアはメッセージである」ともマクルーハンは言う。伝えたいことがあるからメディアをする、結局はとてもシンプルなことなんだろう。大層ないろいろを全部差し引いて、最後には僕はメディアが好きだからメディアを運営しているのである。

自分のマシンがdisられると痛いんだけど、最近はだんだん機械のハートになっている自分にも気がついた。あえて無視する姿勢こそこれからのメディア運営には必要なものだと知りつつも、人の痛みを感じなくなったら本当にメディアが悪者になってしまう

だったらいっそエヴァ綾波みたいにシンクロ率高いのを目指したいよね。痛みも喜びも全部自分のものにするような。それはそうと三浦建太郎先生は新作にかまけてる場合じゃなくてベルセルクをなんとかしてくださいよって切に祈るんだ、おれは。