朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

感染系メディアについて彼女がいない僕が思うこと

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ポジショントークなのだ、結局は。

ただでさえそう大きくはないネット広告費というパイを奪い合うにあたり、手間の掛かるコンテンツを制作する一次メディアとそのコンテンツを紹介するだけの二次メディアであれば二次メディアのが圧倒的に効率がよいのはジョージ・A・ロメロの作品でちょっと外を見て来ると言い残して消えた登場人物が終盤、変わり果てた姿になって主人公らに襲いかかって来るのよりあきらか。

二次メディアがキュレーションの御名において自分たちの未来などを語るのは、未知のウイルスが蔓延して人類が殺し合う世界において「ぼくは まだ 噛まれてないよ」と主張するようなもので、生き残るためには不可欠なことだろうけど、結局噛まれてたんじゃねえか、ってなる展開を見かけることも多い。まあ、主張しなければ主人公に正義のショットガンをぶち込まれてしまうのだからみんな必死よね。

とはいえ気軽に参入できて運営コストが低いわりにROIはよさそうな二次メディアは理念がなければないほど感染力が高く、身の回りでも一次メディアがいつのまにか二次メディアになっていたり、意外なところが二次メディアをはじめていたりと、すでに需要と供給のバランスが崩れており、一次メディアにとってはフロンティアたちが長年をかけて丁寧に切り拓いてくれた市場が人住めぬ地に成り果てるのではと危惧される。

一次メディアと二次メディアとの利害がこんがらがって絡まる現状では、一次メディア側も一致団結できず、アクセス経路としての二次メディアと一次メディアとは共存し得る、と主張するリベラルと、一次メディアを構造上搾取する二次メディアは許容するべきでない、と主張するコンサバの意見が対立してしまうのもショッピングモールとか病院とかの施設に閉じ込められがちなゾンビ映画ではよくあることだ。

さて、バイラルということでむかし付き合ってた女の子が好きだったゾンビ映画にたとえてみたけどなにぶんむかしのことなのでもうネタ切れです。

 

つまるところ、バイラルメディアで得をする人はバイラルメディアを支持するし、バイラルメディアで損をする人はバイラルメディアを支持しない。僕のポジショントークをすると、僕はインターネットの手間のかかるコンテンツがむかしから好きで、これからもそれを楽しみたいし、自分でもそれを作り出していきたい、バイラルで損をする可能性があるタイプの一次クリエイターだ。

手間のかかるコンテンツというのは、ウェブがあまりに普及しユーザのリテラシーを問うこと自体がもはやナンセンスであるようにも思われる昨今では、たしかに効率的なビジネスモデルではない、ないからこそ、そこには一定の加護が必要だと思う。これが時代の流れであると切り捨ててしまうにはあまりにもったいない、価値があるものだと信じたい。

では、その加護とはなにか。バイオハザード的SF映画かと思われたスペイン発パニックホラーのRECシリーズで十字架がその効力を発揮したときは「あれ、ゾンビになる原因はたしかウィルスだったよね、そっかそっか、効いちゃうか〜、ウィルスにキリスト、効いちゃうか〜」と思ったものだけれど、一次、二次を問わずメディアにとっての十字架とは、僕は著作権であると思うのです。

 

そもそも産業を保護するという歴史的背景のある著作権は、コンテンツについてクリエイターの労力を補償するための権利だろう。すべてのメディア関係者が著作権を遵守したコンテンツを制作すれば、誰かが著しく損をするということはなくなる。著作権を放棄するのは自由だけれど、否定までしちゃうと、そのあと困ったことがあっても裁定者たる法の場ではその矛盾が問われるはずだから、やっぱりあったほうがいいんじゃね。

著作権の考え方に照らせば、転載した写真と短文で「これがおもしろい」というだけの記事は引用の“主従関係”と“正当な範囲”の要件を満たさず、違反となる。出典元を明記してあればOKということでもないし、そもそも著作者が転載を事後承諾、あるいは黙認するかどうかは引用する側が判断することではなく、それを当初から当てにした運営モデルは危ういものであることも自戒を込めて認識しておきたい。

制約が増えるほど楽しくなくなるという意見は理解できるし、インターネットはもっと自由であるべきだとも思う。でも発信が対価を生み、メディアとして影響力を得れば、市場への責任が発生する。しかもそこにはかねてからクリエイターのためのルールが存在していたとしたら、それを軽視する姿勢はやはり批判されて然るべきだ。むしろ、そこにしっかりと理念があるなら、それはもういわゆるバイラルではないのではないか。

引用をする際に重要なのは、公開されているものに対して、引用をする必然性があり、紹介する内容に付加価値(この定義はあいまいだけど)をつけるようなオリジナルの要素がメインになった状態で、出典元を明示することだ。これが満たされていれば、紹介される側にもメリットがある。そしてそれがそんなに困難なことだとは僕は思わない。それがライターの、編集者の、メディアの仕事に他ならないのだから。

 

繰り返すがこれは僕のポジショントークだ。バイラルかどうかなんて読者は気にしていないというのも現実だと思うし、ライトなコンテンツの普及によりネット広告予算というパイ全体の大きさが拡がることも十分にあり得ると思う。だからこそ、それぞれが各自のポジションで意見を言うことが必要だ、と思ったので、もうちょっと僕のポジショントークをつづけることにします。

さて、彼女ができない。それにしてもできない。おひとりさまをこじらせて、さいきんは異性との関係性も“相手を生涯愛しつづけられるかどうか”という基準で判断するようになってしまったので、そっちのがバイオハザードよりもずっとおそろしい。でも中途半端に妥協して付き合ってなんとなく結婚してみたいになったらぜったいどこかで浮気とか風俗に走りそうでそのほうが相手に失礼じゃん、と思ってるけど、どうですか。

ちなみにRECシリーズもとうとう4作目、船上がテーマの最新作は年内に公開される予定だが、なんでも1・2作目のヒロインだったマヌエラ・ベラスコが再登板するらしい。やっぱりRECと言えばあの女優でないと、って思ったけどあの頃キャーキャーワーワー言いながらDVDを観ていた僕の隣のポジションにはこのままだとたぶんポップコーンが置かれることになるのかな。

せめて甘いのにしよう。