読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

ウェブメディア論なんていいからドロリッチCMの話とかしようぜ

スポンサーリンク

今日は近そうだったので上野から秋葉原まで歩いてみたら約束に5分遅刻した。
先週も近そうだったので入谷から三ノ輪まで歩いてみたら約束に5分遅刻した。

東京はいつも僕の想像を超えてくる。

 

片田舎のフリーライターから上京してウェブメディアの編集者になって、いくつかのことに気がついた。

SEO対策を意識したキーワード設定や、HTML文法を背景にした見出し構成なんて考えたこともなかったこと。写真のクオリティに無頓着で、あまつさえスマホでてきとうに撮影したものを臆面もなく記事に挿入していたこと。
不必要なギャグ、冗長な言い回し、過剰な自己アピールなどなど、これまでの自分の仕事の粗は枚挙にいとまがないのだけれど。

ライターに直接フィードバックされることのあまりないこういうことが、じつはライターの評価に直結していて、記事の単価を左右していた。

 

はじめは言ってくれなきゃわかんないじゃん、って思った。だけど、親切丁寧に教えてあげるのにはわりあい大きなリソースが必要だ。
だから最初からできるライターが優遇される。

さむい部分は無言でばっさりとカットされるだけで、わざわざ工数をかけて教えてあげるほどこっちは暇じゃないのだ。

 

ウェブライターにはほとんどの場合、指導者がいない。右も左もわからない状態から自分なりの方法論を確立するしかスキルアップの道筋がない。
それはときとしてライターがひとりよがりになることにつながる。できないじゃなくて、わかっていないだけなのだけれど。
当て感の優れたライターの報酬がぐんぐん上昇して、残りのライターは原因に気がつかないまま停滞しつづけて、閉塞感の中でプライドだけが肥大していく。

さいきんはウェブメディア論が盛んで、買い叩かれるウェブライターなるものがホットトピックになる場面をよく目にする。僕自身、ある程度名が通ったメディアで連載していた当時、ずっと飼い殺されている感覚があった。

でも、回す側になって感じるのは、ウェブメディアというビジネスモデルがそもそもそんなに大きくはないパイの奪い合いになっているということ。
一概にライターが搾取されているとは言えないし、本質的な解決はもしかしたらまだ不可能なのかもしれない。

 

だからこそ僕は編集者として、ダメな文章にダメと言えるようになりたいのだ。

いたずらに経験だけを積み重ねた僕のようなライターが自分の文章に根拠のない自信を持ち、そうして入稿された記事を見た編集者が頭を抱える不幸な構図にどこかで終止符を打ちたい。
また、個人的には、誰でもライターを名乗れることで、ライターという言葉が軽くなってしまったことにも忸怩たる思いがある。自分もその原因のひとつであるという自覚があるからだ。
どれだけ工数がかかっても、ライターがついてくる限りはとことんまで編集作業に付き合いたいのはそういう理由だ。リソースがなんだ、それが僕の今の仕事だ、と思う。

ちなみにウェブライターの文章力についての論争は、個人のスキルとは別に、ネットで当たる文章が紙とは本質的にその成り立ちから異なることをまず念頭に置かないといけないと思うけどそれはまた別の話だった。

批評はあくまでも建設的に、でもそれを積み重ねてウェブメディア全体を高いレベルに持って行こうよみんなで。おこがましいけどそんなような気持ち。

 

とは言え、ダメな文章にダメと言うのはなかなか難しい。

仕事にプライドを持つのは当然なのだけれど、文章をいじられることに感情的な反発をしてしまうライターは多かれ少なかれ存在する。僕も駆け出しライターだった頃はどうして自分的キラーフレーズがまるっと削除されたのかわからず編集の無能さを呪ったりした。
でも、それって本当は機会損失をしていると思う。メディア全体のバランスを踏まえて、客観的に文章を見ることができるのはやはり編集者だ。

サイトポリシーとか、テーマとか、バックグラウンドとか、そういうの。本当にわかっているかどうかは、前述したひとりよがりの指標でもあると思う。
ネガティブな感情は自分で思う以上に相手に伝わる。編集されたことに不満をあらわにするタイプのライターには、ますますアドバイスを伝えにくい。
もちろん、その伝え方が今度は編集者としてのスキルになるとは知りつつも。

 

いいライターさんとは、自分の文章に対して謙虚な人のことかも知れない。編集者になって、そんなことを考える。

ソーシャルが発展してコンテンツの拡散が容易な昨今、誰の手も入れる必要のない文章なら、わざわざ制約だらけのメディアじゃなく、個人ブログでもたくさんの人に読まれるはずなのだ。
自分的に自信がある文章が世に出ないなら、やっぱり何かが足りない。その事実にライターは謙虚であるべきだと思う。

とはいえ大手メディアじゃないと読まれにくい、みたいなのは、周囲の優しいフォローならともかく、いちクリエイターとしてはただの言い訳だと言い切れるくらいの矜持がなければ、自分をライターとは名乗れないだろう。
編集者兼ライターとして、自戒を込めてそんなことを思う。

本当にいいコンテンツは、たとえ個人発信でも社会レベルでバズって、マネタイズも成立している。そんなのブロガーが台頭する現状を見れば言わずと知れたことだ。
これは本来、ライターにとっては残酷な事実だし、僕もまたそこそこしかシェアのつかなかった自分の文章を見るにつけ悔しく、自分の力不足を呪うこともある。

でも、なにかとdisられがちなウェブライターだからこそ、貪欲に実力をつけて、いつか紙に重きを置くみなさんにも、この業界全体が認められるようになりたいじゃないか。

 

そんな僕の人生の目標はいつかドロリッチガールズのみなさんと濃厚なホイップクリームでパヤパヤすることです。


グリコ乳業 ドロリッチ「ドロリッチガールズクリーミーカフェゼリー」 - YouTube


ようし、大物に、なるゾ〜!