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朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

「死にたい」よりは「みんな死ね」のほうがむしろ前向きなんじゃないかな

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自分を嫌うのは自分の勝手だけど、それってすごく生産性が低い

だったらむしろ他人を嫌うほうがよっぽど建設的なのではあるまいか。

 

たとえばあなたがヒドい目に遭って「死にてぇ〜」と思ったとする。

考えてみてほしいのは、どうしてあなたがあなたを傷つけるようなファッキンな何かのせいで不快な思いをしなければならないのか、ということ。

あなたの過失割合なんてこのさい関係ない。問題なのは、外的要因によるストレスが内側に向かうその思考パターンだ。

「死にたい」は停滞の魔法。ダメ人間の自分に極刑を下すようなスタンスでいて、じつは何もしていない。「死にたい」と言えば許されるような気がしているだけで。

不健全だ、そんなの。悔しい気持ちは隠さず表現すればいいのに。

 

ちなみに僕は世間が僕を泣きながら拝み倒すくらい大きなことを成し遂げるまでは死んでも死にきれないと思っている。

いつか、これまで僕を評価しなかった人間すべてを後悔させてやりたいし、そいつらが悔しさのあまり憤死するほど成功したい。

こんなふうに、ネガティブな感情は意外と強固なモチベーションになるものだ。

だから「死にてぇ〜」じゃなくて「みんな死んじゃえばいいのよ!」のほうが前向きだし、ブレイクスルーの可能性があると僕は思う。

 

人間の悩みなんて結局ほとんど「もっと愛されたい」みたいな不満だろう。

なら、そもそも他人に期待するのが間違いだ。自分を純粋に愛すことなんて自分にしかできやしないのだから。

だって、誰かに「愛してる」と言われたとしたって、それがお金やカラダ目当てじゃないことなんて、誰にも証明できないでしょう。

いいですか? その点、自分は一点の曇りもなく100%自分を愛せるんですよ?

自分パネエ! 自分サイコーだYO!

自分にとって最高の理解者が自分だとしたら、そんな自分のことは自分も好きになってあげたほうが合理的だ。他人に愛されたいみたいなのは非効率だしナンセンス。

自分で自分を愛せないのに愛が足りないから他人に求めてまた悩むんじゃないですか。バカバカしい!!!

 

「死にたい」とか言っちゃうのは、たぶん気にしてほしいからだ、本当は。

自分を認めてくれない人間を憎みつつ、それでも気にしてもらいたいための苦肉の策。

でも、憎んでるのに擦り寄りたいみたいな矛盾を抱えていては、自分がどんどん嫌いになるばかりではありませんか。

だったらアイツらが擦り寄ってくるようにすればいい。いつの日か『跪いて足をお舐め』と言ってやるための準備は「死にたい」と口にすることじゃない。

 

かく言う僕も、「もう1年ほど彼女がいないし、3年くらいセックスしてない」という数字のマジックを思うにつけ「死にたい」が口をついて出そうになるけれど、

いま死んだら僕の三年寝太郎がこのまま日本昔話になってしまうことへの恐ろしさから踏みとどまるのである。

 

 

生きねば。