朽木誠一郎 の あまのじゃく日記

ごめんなさいと念のため

正しさの基準は(自分の中のテキトーな)神様の言うとおり

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世の中にはノータイムで唾棄すべきモノゴトがあって、それは例えばPVを水増ししてるメディアとか退職する友人に暴言を吐く友人の上司とかFacebookに投稿された隣国の悪口とか条件の提示が一切ない「(仕事の)アドバイスしていただけませんか」なんだけど、そういうのは本来すぐにでも否定していいはずなのに、相手との関係ガーーーとかにあれこれ思いを巡らすと途端に声が小さくなってしまうではありませんか。

やはり社会的動物であるところの人間の中でもそうとう器の小さいタイプの僕は、自分によほどの実害がなければこういうクズっぽいのを放置してしまうんだけれども、そんなときは自分のブレブレな正しさの基準をすごく頼りなく思う。だって僕がいる業界ひとつにもいろんな悪事が横行している。いざというときにお名刺代をはっきり断れる自信がほしいんだ僕は。お名刺代って初耳だったんだけれども。

もうすぐ30になるためか、業界の中でも至極真っ当に長年やってこられている筋のよい環境に身を移したためか、善く生きるというのが個人としての目標になった。誠実とか真摯とかそういう姿勢はまだ意識しないと身に付いてなくてすぐズルしようとしてしまうが、筋のわるいことだけはやりたくない。信じてくれている相手をガッカリさせたくないもの。でも、筋がわるいことってひと口に言ってもむつかしい。

どんなにお金を積まれてもステマとかあやしい健康商材のPRとかはしちゃいけない。でもそれだけじゃなくて、さいきんだと取材しないいい加減なこたつ記事とか、通りすがりに見かけた広告の数字の誤魔化しとか、なんかそういうのも自戒を込めてクソだと公言したい。公言するぞー、おれはあしたのブロフェスあたりで公言していくぞ〜〜〜(しない)。でもそれ以外の判断に困るような些事ってあるじゃないですか。

傘持ってお打ち合わせに行ったのにお客様先出る段になったらおれの傘ねーじゃん、みたいなことって仕事してるとある気がするんです。ここの古い傘一本持って帰っても誰も損しないし自分が濡れずに帰れる分ハッピーなんじゃね、みたいに自分を正当化できるレベルの単一記事内で度を越したページロードさせるようなジャンプアップ。その個別の是非よりも、正しさの基準をどこに置くべきかに頭を抱えてしまうのだ。

で、こういうこと言うと宗教やってるのかなって心配されそうなのであらかじめ断っておくけど宗教やってないです、正しさの基準は「これをやって天国に行けるのかどうか」に置くようにしている。例えばお名刺代やステマは死後裁きにあう予感がずんずんするし、誤魔化した媒体情報でセールスかけて地獄に行くのもバカらしい。真っ当に、筋のよいことをやり続けたら天国はあなたがたのものになるような気がする。

何をやるにも正しさの基準を自分の中のテキトーな神様にジャッジしてもらうのはなかなか効果がある。詰まるとこそれは以前からある良心という概念なんだけど、良心のような自罰的な思考システムは信心深くない僕のような人間には長くは持たないんじゃないかと思う。あくまで報酬系を作動させることでオートマチックに善く生きれるというのがちょうどいい温度感なんじゃないかと思うのだ。

この「天国に行きたいかーーー?!」というマインドシフトで僕はけっこう楽になったのでみなさんにも推奨していきたい、あわよくばオンラインサロンを立ち上げてたくさんの信者を獲得して、まで考えたけどそれこそ宗教だし完全に金に目がくらんでいるので地獄に落ちそうだ。そんな徳の高くない僕はやっぱり天国には行けないかもしれないけど、そしたらせめて沖縄のシーサーあたりに生まれ変わって家内安全を守りたいな。